事実は小説より奇なりなどという言葉はあれど、いざ目にするとやはり一瞬呆けてしまうものなのだなと、最初に浮かんだ考えはそれだった。 深夜。薄汚い路地裏に傷だらけの男が一人。倒れているのか自らの意志で寝ているのかは定かではないが、自力で立つのが難しいのだろうことだけはわかる。 身にまとう服はどこもかしこも血に塗れていて、その胸は浅く上下を繰り返している。 今すぐどうこうなるわけではないが、放っておけば夜明け頃には冷たくなっているだろう。ちょっとした事件にはなるだろうが、珍しいことでもない。 こんなところに落ちてる人間なんて、どうせ厄介事の塊だ。関わったところでなんの得もない。裏社会に身を置くならば、余計な物は拾わない、関わらないのが鉄則である。 特に、最近はこの辺りをシマにしているヤクザ連中が揉めていると聞く。それ絡みであれば面倒だ、仕事以外で関わるべきではない。
──そう、経験ではわかっているのだ。
だのに、好奇心がむくりと心の奥で首をもたげ、笑う。 『こいつが死ぬ前に、遺書を書かせよう。書けないなら応急手当くらいはしてやろう。それが俺の仕事だ』と。
「よぅ、若ぇの。生きてるか?」
気がつけば、そう言葉を発していた。 力なく閉じていた瞼が震え、ゆっくりと上がっていく。 まぶたの奥に隠されていた瞳は、この世の何もかもが嫌になったとでも言うような、暗い色をしていた。 「……誰だよアンタ」 「いやなに、通りすがりの殺し屋さんだよ」 ひょいとしゃがみこんで、まじまじと男を見る。見たところ墨は入ってなさそうだし、所属を示すバッヂもない。 遠慮なくポケットに手を突っ込んでみても、財布とスキットルくらいしか出てこない。 となれば、こいつは同業者かそれに親しいものなのだろう。用心棒にでも雇われたか。 「……大したもんは、持ってねーよ」 「みたいだな」 荷物を漁り始めた俺に、男はうんざりしたような声で告げる。その隙間から、ヒュウヒュウと苦しそうな呼吸音が聞こえた。 だが、意識はハッキリしているし、感覚も生きているようだ。となれば、ある程度手当してやればすぐに死ぬこともないだろう。 ……遺書を書かせられないのは、残念ではあるが。 そんな事を考えながら男の顔を顔を覗き込む。ドロリと淀んだ瞳と目があって、その瞬間、再び好奇心が顔を出した。
『こいつは何をそんなに絶望しているのだろう』 『裏社会なんて、こんなに楽しい世界にいるのに?』 『暴いてみたい。覗いてみたい』 『こいつの心の中身を。ドロリと濁った瞳の底に、どんな感情があったのか』
欲望まみれの囁きで、頭の中が騒がしい。我ながら享楽主義的すぎて呆れてしまう。 だが、自分がその囁きに逆らえないのもまた事実。我欲を満たせない人生になどなんの価値があろうか。 目と目が合って恋に落ちる、なんて言葉は信じちゃいないが、好奇心なら信じられる。 クタリと力なく地面に投げ出されていた腕を引いて、死に損ないに立てと促す。 「助けてやるよ。どうせ後ろ盾なんてモンもないんだろ、お前」 「……は? そんなこと、して……アンタに、なんか、得でもあんのか……?」 「得、か……いや、パっとは思いつかねぇが、そうだな」
訝しむ男に向けて、ニンマリ笑う。
「何にしても放っときゃここで死ぬ命だ。俺が拾ったって構やしねぇだろ」 「答えに、なってない」 「さて、そうと決まりゃあ持って帰って傷診ねぇとな。この俺が手当してやんだ、簡単に死ぬんじゃねえぞ」 「……好きにしろ」
深夜。薄汚い路地裏で、死にかけの男が一人。それを拾う殺人鬼が一人。 言葉にすれば、つまらない三文小説のようなそれが、とある『遺書屋』の出会いだった。