12月24日、夜6時25分。 クリスマスムードに染まった都会の地下を、電車が進んでいく。 イルミネーションやイベント、あるいはすぐ後に訪れる新年を祝うための広告で飾り付けられた電車の中は、しかし仕事終わりの大人たちでいっぱいだ。 電車での移動にはだいぶ慣れたものの、ラッシュ時の電車というものへの馴染みはまだ薄い。 疲れた大人がぎゅっと詰め込まれた車内で、雛水と悠希もまた、緊張した面持ちで目的地への到着を待っていた。 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン―― 電車の揺れる音の合間に、次の駅を告げるアナウンスが響く。 一駅ごとにたくさん人が降りて、また乗ってくる。 そんな光景を眺めているうちに、やがて彼女たちの目的地である駅に電車が止まった。 二人で顔を見合わせると、吐き出される人の流れから逸れないよう、慌てて流れに乗る。離れ離れにならないよう、とっさに固く手を繋ぐ。スーツの生地にギュムギュムと押されながら、二人の少女はやっとホームに流れ着き「ぷはぁ」と大きく息を吸った。 「ひゃみちゃん、大丈夫~?」 「う、うん。悠希ちゃんも、だいじょうぶだった……?」 「なんとか~。なんかさ、帰宅ラッシュってすごいんだね……皆こう、疲れてるっていうか殺気立ってるっていうか……」 「うん。なんか、きんちょうしちゃった……」 ようやっと窮屈さから解放された二人は、そう言って苦笑いを浮かべる。 時刻は18時45分。普段ならとっくに家に帰って、宿題を片付けたりテレビを見ているような時間だ。そもそも、普段であればラッシュ時の電車に乗るような必要はない。 にも関わらず二人が外に出ているのは、ひとえに悠希の思いつきが発端だった。 ***
九崖島の事件の後、幸久・雛水・悠希の三人は、兎織のもとでUGNの支援を受けながら暮らすことになった。 離島生まれ離島育ちの彼らにとって、本土での生活は目まぐるしく、慣れないことばかりだった。 例えば、学校が学年別にクラスが分けられているのも初めてだったし、同じ学年の生徒が何百人もいてクラス分けされている環境など、ドラマや本の中でしか見たことがなかった。 子どもの少なさゆえ、義務教育期間は1つの学校で学年ごちゃ混ぜになって授業を受けていた彼らにとって、急に百人以上の同級生ができたのだからその困惑と驚きたるや。悠希はテンパって知恵熱を出すし、幸久もクラスメイトからの質問攻めを受けてたじたじになっていた。雛水も大勢の同級生に囲まれ、あれもこれもと質問を投げられてどれから答えたらいいのか目を回してしまった。 だが若者の準応力とでも言おうか、幾ばくかの月日を経てやっと今の生活にも慣れてきた。クラスメイトとの関係も良好だし、何より家に帰れば頼もしい仲間がいる。 こちらの生活に馴染めるだろうかと心配していた兎織もやっと長期任務に出られる程度には、彼らの生活も安定してきていた。 そんな折に、悠希が同級生から「クリスマスマーケット」なるイベントの話を教えてもらったのが、今回の始まりだった。 「なんかね、なんかね、クリスマスのお祭りがあるんだって! イルミネーションとかあと屋台とかいっぱい! そろそろ私たちも都会っ子になってきた頃じゃない? だからさ、皆で行ってみたいなーって思うんだけど……」 「話したいことがある」とソファに座らせた幸久と雛水に、悠希はそう言って一枚のパンフレットを勢いよく広げてみせた。 クラスメイトからどんな入れ知恵をされたのやら、パンフレット片手に熱弁を振るう悠希の勢いに押されるような形で、クリスマスマーケットへ行ってみたいという彼女の願いに頷くこととなったのだ。 とは言え幸久と雛水も、季節行事など気にするような余裕もなく日々を過ごしていた中の提案だったので、断るような理由もなかった。いくらしっかりしていても、まだまだ子どもだ。久しぶりに外で思い切り遊びたいと思う気持ちを思い出してしまえばあとは早い。 あれよあれよという間に作戦会議は進み、3日ぶりに任務から戻ってきた兎織を丁寧にもてなし、熱いプレゼンを披露した数日後、あの手この手で仕事の日程を調整しきった兎織からOKが出た。 かくして、子どもたちのために12月24日を掴み取った兎織の保護の元、クリスマスマーケットへ遊びに行くことが決まったのであった。 訓練日程の関係上、幸久と兎織はUGNから直接、悠希と雛水は電車を使って会場の最寄駅で待ち合わせをすることになり、冒頭へと繋がる。 ぎゅっと手を握り合い、悠希と雛水は蛍光灯に照らされたタイル張りの通路を進んでいく。 先程の電車には疲れ切った大人のばかり目についたのに、同じ通路を進む、同じ目的地へ向かっているのであろう人々の目は楽しげに輝いていて、この人たちはさっきまでどこにいたんだろうかと不思議になった。 そんなことを考えながら、一段一段階段を登っていく。冬の乾いた風がヒュウと吹き込んで、二人の髪を少し乱暴に揺らす。ようやく階段を登りきれば、地上はすでにクリスマスムードで彩られていた。街灯の飾りつけはもちろん、植え込みや貧相な街路樹でさえ、電飾でめかしこんでいる。 同じく地上に出てポケットからスマホを取り出した雛水が、「あ」と小さく声を上げて悠希に画面を見せた。 「兎織くんたちも、もう着いてるみたいだよ」 「ホント? ってことはこの辺にいるのかな」 地上にたどり着いた悠希が、そう言って周囲をキョロキョロと見回す。雛水もそれに習って周囲を見回していると、やがて聞き馴染みのある声が耳に届いた。 「おーい、雛水、悠希こっちこっち!」 声のした方に振り返ってみれば、コートを着込んだ幸久と兎織が、二人に向けて大きく手を振っていた。 「お疲れ様です、二人とも。迷子になったりはしませんでしたか?」 「そりゃもうバッチリ! なんたってひゃみちゃんが一緒だったからね!」 「うん、ちょっとドキドキしたけど、大丈夫だったよ」 「それは何よりです。帰りは車ですから、安心してくださいね」 それでは行きましょうか、と促す兎織の先導で子供たちは歩き始める。少し進めば、楽しげなクリスマスソングが聞こえてきた。それとほぼ同時に、クリスマスリースを模したアーチが見えてくる。どうやらあれが入口のようだ。アーチの向こうには様々な屋台が並んでいて、木々に飾り付けられた美しい電飾が会場にいる人々の笑顔を照らし出していた。 「わぁ……すっごいキレイ……!」 「……うん」 思わず、悠希の口から感嘆の声が漏れる。その言葉に応ずるように、雛水もコクリと頷いた。二人の頬が赤いのは、寒いからだけではないだろう。 「すごい人だな……」 幸久も思わず、その規模に圧倒される。本土に来てからも何度か近所で行われたお祭りなどのイベントに行ったことはあったが、ここまで大規模なイベントは初めてだった。九崖島も人間を全員集めても、今ここにいる人間の数と大差ない――いや、それどころか及ばないだろうとさえ思えた。 「さて、早速ですが……今日はクリスマスイブですね。サンタさんから、皆さんによろしくと言いつかっています」 そう言って兎織は、会場に飾られていたツリーの前で足を止めると、三人の子供たちに笑いかける。そしてトレードマークである帽子のつばを少し持ち上げ、色とりどりの屋台へと視線を向けた。 「ですから、今日は思い切り楽しんでください。雑貨でも、食べ物でも、何でも。折角のイベントですからね」 兎織の言葉に、悠希がパァッと顔を輝かせる。興奮したように両手を握って、キラキラした目を会場に向けた。 「ホント!? ありがとう先生!」 「悠希、興奮するのはいいけど迷子になるなよ」 今すぐにでも走り出しそうな彼女の様子に、隣りにいた幸久が慌ててコートのフードを掴んだ。幼馴染に釘を差され、悠希がぐっと言葉に詰まる。が、すぐに気を取り直した悠希によって逆に手を繋がれる。 「わっ、な、何してんだよ!?」 「ふふーんだ。そこまで心配するなら、迷子にならないように幸久が責任取ってよね」 「えぇ……」 照れくささと困惑の入り混じった表情を浮かべる幸久に、悠希がふふんとドヤ顔をして見せる。そんな二人のやり取りを見て、兎織はクスクスと笑った。 「ふふ、これで悠希さんの迷子対策は大丈夫そうですね。では、折角ですから私も皆さんと一緒に楽しませてもらいましょう」 兎織の大きな手が、雛水のちいさな手を覆う。まるで親子のように睦まじく手を繋ぎながら、クリスマス雑貨を扱う屋台を見て回る。その後ろから、悠希と幸久もまた屋台を覗き込んでは歓声を上げた。 「ほらひゃみさん、これなんて可愛いと思いませんか?」 「えっ、えっと、どれかな……」 「ほら、こちらのスノードームですよ。中に雪だるまがいます」 「ホントだ。キラキラしてきれい……」 「あ、幸久見て! あれ可愛くない!?」 「あれってリス……いや猫……いや犬? なんだ? あのよくわかんないアレか……?」 「なに言ってんの、どー見たってウサギでしょ!」 「嘘だろオイ!?」
「んん~、おいひい! こんな寒い日に外で食べるってなんか不思議だけど、楽しいね!」 「悠希ちゃん、ほっぺにケチャップついてる」 「え、ホント? 取って取って~」 「まったく、これじゃどっちが年上だかわかんねぇな……」 「仲が良くていいことじゃないですか」 一通りの雑貨を見終わった一行は、会場に用意された椅子に座って屋台で買い込んだ食事を楽しんでいた。 揚げたてのポテトにソーセージ、チュロスにビーフシチューなど、様々なごちそうを頬張りながらイルミネーションの下で笑い合う。 偶然空いた席に滑り込めたはいいものの、周囲を見てみればまだまだ宴もたけなわといった盛り上がりようで、飲食スペース近くのステージでは、民族衣装をまとったダンサーたちがクリスマス伝統の踊りを披露している。 「……もう8時なのに、こんなに人が出歩いてるなんてな」 ポツリとそう呟いたのは幸久だった。その声音には感心だけでなく、なにか別の感情が込められているような気がして、雛水の視線が思わず彼の方を向く。 幸久の隣りに座っていた悠希は、手元のホットチョコレートに視線を落とした。 「島だと、この時間はみんなもう家にいたもんねぇ」 「そうそう。外なんて真っ暗でさ。朝から漁に出るおっちゃんたちなんかだともう寝る時間だったりして」 「真っ暗だったけど、でもその分星は沢山見えたよね。天の川なんてすっごくてさ」 「そうだな……」 幸久の視線が空を向く。イルミネーションやビルの光の向こうに広がる空には、ポツリ、ポツリとまばらに星が輝くだけだ。 いくら都会の生活に慣れてきたとは言え、傷が癒えたわけではない。 未だに涙が出るくらいの寂しさに襲われる日だってあるのを、幸久も雛水も悠希も、お互い口には出さずとも知っていた。 「幸久くん……悠希ちゃん……」 島の記憶をたどり始めた二人に、雛水が不安げな声を漏らし、きゅ、と膝の上で手を握る。 子供たちを救ったものの、同時に故郷を離れる原因の一端となった兎織もまた、掛ける言葉を探して、しかしうまく見つけられずに静かに目を伏せた。 「……」 無言の時間が流れる。周囲の賑やかさが耳に痛い。 しばらくの後、その沈黙を破ったのは悠希だった。「あのね」と切り出すその表情には、固い意志の光が宿っている。 「いつか……いつになるかわからないけど、私ね、また島に行ってみたい」 そう言った後、少し照れくさそうに笑う。 「島の人たちは……家族だって、私たちのこと覚えてない。でも、私たちにとっては、やっぱりあそこが故郷だもん」 「それは……」 今すぐには難しいと、「保護者」ではなく「UGNの人間として」言おうとした兎織の前に、悠希は「大丈夫」と手のひらを向けた。 「大丈夫だよ先生。言ったでしょ『いつか』だって」 「悠希さん……」 に、と笑う悠希に、兎織は口をつぐむ。帽子のつばを下げ、小さく「参りましたねぇ」と呟いて、再び彼女に視線を向けた。 「いつか、クロートーの影響が島から全部消え去って、私たちも能力とか心をちゃんと制御できるようになって、大人になったら」 そこまで言って、悠希は幸久、そして雛水に「どうかな」と問う。二人は、悠希にプレゼンを受けたときのように顔を見合わせると、今度は「もちろん」と力強く頷いた。 「ひゃみもね、たくさん頑張るよ。それで、皆でまた帰りたい」 「皆が忘れてたって、俺達はちゃんと覚えてるしな」 「よかった! じゃあ、約束!」 悠希はそう言って、小指を差し出す。 ちょっと笑いながら、幸久と雛水もそれに応じる。三人の小指がしっかりと絡み合った。 「よし、これで決まり。いつか絶対、みんなで帰ろうね。」 そんな彼らを見て、兎織も小さく微笑む。 彼らはまだ子どもだ。でも――彼らはもう、ただの「守られる存在」ではない。 自分たちの未来を、自分たちの言葉で選び取ろうとしている。それが誇らしいと、心からそう思った。 「……へへ、ありがとね、二人とも。あと先生も、罪悪感とかそういうのは全然いらないからね!」 「そう言われてしまうと……参りましたねぇ。ではせめて、その日が少しでも早く来るように、私も尽力しましょう」 再びの沈黙が訪れる。しかし、先程のように居心地の悪いそれではない。どこか温かな沈黙が、彼らを包んだ。 ぬるくなったホットココアを一気に飲み下すと、悠希ははぁ、と白い息を吐き出した。それは空に昇り、やがて空気に溶けていく。 「……やっぱり、星はあんまり見えないね。」 視界に映るのは、明るい都会の夜空。彼女の言葉につられ、他の三人も空を見上げる。 「またいつか、本物の満天の星を見ようね」 そう言って、悠希はふっと笑う。 悠希が見上げた夜空には、星の代わりに、無数のイルミネーションがまたたいていた。 ――まるで、いつかまた帰る場所を照らす道しるべのように。